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3.11 それぞれの時 そして明日へ

沿岸応援プロジェクト

「寝るところ、休むところがある。それはとても幸せなこと。ありがたいこと。人間、ゆっくりと寝ることができれば活力がわいてくる」

はまなす亭 庭静子さん(洋野町)

プロフィール:岩手県洋野町種市「はまなす亭」の店主で食推進委員会員 食の匠。

防波堤の海側にある海沿いの道路に面した「種市ふるさと物産館」

庭さんの運営する「ふるさと物産館」は防波堤の海側にある海沿いの道路に面した「おみやげ販売所」、「お食事処はまなす亭」として多くの人たちでにぎわう観光名所だった。

が、3月11日・・・・・・庭さんの「ふるさと物産館」も津波によって1階部分を流されてしまった。

「知人から『動物並みの直感で様々な困難をすり抜けて生きている』って言われるの」と庭さん。

今回の震災にもその直感が働いた。
地震の3日前の3月8日にその姉妹店として高台の道の駅内に「はまなす亭たねいち産直店」をオープンしていた。
今回、このお店がオープンしていたからいち早く復興への一歩を踏み出すことができた。

3月11日震災当日庭さんは、勉強会の講師として隣町の久慈市にいた。
勉強会は、午後3時までの予定だったが・・・虫の知らせか、どうしても店が気になって仕方がなく、理由をつけて戻ってきていた。
一息つきお茶を飲んでいたその時、大きな揺れが種市を襲い、揺れと同時にバチンと電気が止まった。

すぐに従業員を家に帰し、消防団副団長のご主人とともに防波堤の海側にある「種市ふるさと物産館」へ向かった。
水門はすでにしまり、入れる状況ではないのはわかっていたが、行かずにはいられなかった・・・。

積み上げてきたものが一気に流されてしまった

店内は、物が散乱してはいたが大きな被害ではなかった。

しかし、大きな津波が来る・・・と直感していた。

防波堤の上に上り、海を見ると、見えるはずのない岩が見えた。
海をえぐるような引潮。
「チリの大津波の時でさえ、こんな引潮を見たことがなかった。」
「その時の海の状況は、今思い出しても恐ろしい。」と身を震わせる。

そして、津波が押し寄せた。
波は何度も何度も押し寄せては引いて行った。
防波堤の上から「種市ふるさと物産館」が津波に襲われるのを黙って見ているしかなかった。
長年、積み上げてきたものが一気に流されてしまった。

幸い防波堤の海側で津波を食い止めることができたため、民家が流されることがなかったが、洋野町種市も津波によって大きな被害を受けた。

ふと目に入ってきたのは・・・

一番精神的に辛かったのは、翌日だった。
廃墟のような惨状は想像以上で、涙も出ず、感情の出し方を忘れてしまった。

何か見つからないかと何度も物産館のあった場所に足を運んだ。
ふと目に入ってきたのは・・・
防波堤の際に落ちている冷凍庫だった。
それは、庭さんの店のものだとすぐにわかった。

冷凍庫の扉は圧がかかり、なかなか開かなかったが、数人がかりでやっとあけた冷凍庫の中には、無傷の蒸しうになど商品がぎっしりと詰まっていた。
「これを使って次に踏み出せってことなのかな」と喪失感でいっぱいだった中ふと心に光が差したような気がした。

「販売しなくちゃだめだ」と助言を受けた

店に戻ると40代くらいの男性が「コンビニやスーパーにも食べ物が残っていなくて前日から何も食べていない」と言ってお店の前に立っていた。
それを聞いて、庭さんは「これは、店を開けるしかない!」と改めて決心をした。

とはいうものの、営業を再開することに迷いがなかったわけではない。
無償で提供することも考えた。お金をいただいていいのだろうか・・・

しかし、ある人から、
「幸いこの地域は住宅が流されることがなく、みんなで復興するためには安くしてでもいいから、販売をしなくちゃだめだ。」と助言を受けた。
それから、地元の人たちのためにおむすびを販売することから始めた。

全国の人たちから多くの温かな言葉が届いた。
取引業者さんもできる限りの食材を提供してくれた。

震災後すぐに、庭さんは様々な物産展にも積極的に出店した。
盛岡のカワトクデパートに出店した時には、お客さんが手土産を持って買い物に来てくれた。
人との温かなつながりを感じ、とてもうれしくありがたかった。
また、同時に、スタッフ一人一人が今まできちんとした接客をしてきてくれていたんだと実感した。

失ったものの大きさ

「種市ふるさと物産館」という建物は町が所有。津波被害により解体が決まり「種市ふるさと物産館」という屋号が使えなくなってしまった。

まだ開店したばかりの「はまなす亭たねいち産直店」は認知度も低く、自社製品を販売するのにも「偽物?」と疑われてしまうということもあった。
築き上げた屋号の大きさ、その屋号を失ってしまったことの大きさを実感した。

数年前に、ほやの中から取り出した水を煮詰めてほやしおを開発。
ほやの旨みがどんな料理もおいしくすると評判になり、一度テレビで取り上げられると注文が殺到した。
少量ずつしか生産できないために予約いただいたお客様に待っていただきながら何年もかけて送り続けていた。
やっとあともう少しで全員に送り終えることができるはずだった・・・しかし、何年も待っていてくれたお客様のデータの全て、ほやしおを作るための装置もすべてなくしてしまった。
「謝るにも、お客様のデータがなく謝ることもできないの・・・」庭さんは途方に暮れる。

コツコツと積み重ねてきたものをもう一度元に戻したい

庭さんは、地元ではちょっとした有名人のため、被災地特集のテレビや、メディアの取材などが押し寄せる。
それは、庭さんのこれまでの功績による。
種市では、6年前にプロジェクトで種市の海の幸をブランド化しようという働きが始まり、
その一員として、年中この地域で獲れるほやを商品化したいと思いついた。

新鮮なほやに火を入れるなんて!!と言われたが、ほや飯、ほやラーメンなどを様々な商品を開発した。
生ももちろん美味しいけれど、火を通した生のほやとは違う美味しさも広めてきた。

多くのものを無くした今、これまでコツコツと積み重ねてきたものをもう一度元に戻したいと庭さんは考える。

多くのことは望まない・・・元通り。
それに向かって、庭さんはマイペースに多忙な毎日を送っている。

今後も、物産展など種市のPRのために全国を飛び回る予定でいっぱいだ。
庭さんの人柄が私たちをかえって勇気づけてくれる。

「寝るところ、休むところがある。それはとても幸せなこと。ありがたいこと。人間、ゆっくりと寝ることができれば活力がわいてくる」

写真

◆はまなす亭 (庭静子さん)

岩手県洋野町種市「はまなす亭」の店主であり食推進委員会員 食の匠。
以前は防波堤の海側にある海沿いの道路に面した「おみやげ販売所」、
「お食事処」として多くの人たちでにぎわう観光名所「ふるさと物産館」を運営。