
3.11 それぞれの時 そして明日へ
3月16日から東京・日本橋の高島屋で「大いわて展」が行われる予定で、佐々木さんはその出店準備をしていたところ地震にあった。
すぐに「津波が来るかもしれない」と思い、従業員と急いで高台に逃げた。その予想通り、地震が起きてからあっという間に津波が大沢の町に押し寄せ、自宅と作業場を襲った。
自宅・漁船・牡蠣の養殖いかだ・車・昨年改築したばかりの作業場…。
佐々木さんは全てを失い、震災から一週間、落ち込むばかりだった。自宅跡に家財を探しに戻った際に釘を踏み抜き、大怪我もした。先を見失い、漁業や加工業を再開する気力は失いかけていた。
そんな佐々木さんの元に、全国のお客さんから声が届いた。電話がつながるようになると多くの方から「時間がかかってもいいから作ってほしい」という連絡を次々にもらった。青森まで飛行機で飛び、南下して佐々木さんのお見舞いに駆けつけてくれたお客さんもいた。
「山田の牡蠣くん」を待ち望む大勢の人の声が、佐々木さんの心を奮い立たせた。
「皆さんの励ましで前を向くことができました。うなだれてなんかいられません。」そう全国の人に伝えてほしい、と佐々木さんはまっすぐ前を見ながら力強く言った。
佐々木さんは漁師でありながら加工業者である。その立場から、「漁師が再生しなければ加工業者は再生できない」という思いがある。
「災害にはあっても、地元には愛着がある。だから、漁師が元気ならまたここでやろう!と思えるんです」。
そして、漁師たちが自発的に活動を始めた。数は少ないが残ったいかだがあるので、共同で養殖をしていくことになった。
今は新たな漁場を作って種牡蠣を運び、みんなで管理してみんなで大事に育てている。平日の午前中は、瓦礫を撤去したり、港を掃除するなど自主的に共同作業を行うようになった。
そんな活動を行っている内に、町がその活動に対しての対価を出してくれるようになった。
「動き出せば何か付いてくるんです」と佐々木さんは笑顔で言った。
佐々木さんは6月2日から盛岡市の百貨店「パルクアベニュー カワトク」で行われた「カワトク県産品フェア」に出品した。
牡蠣は宮城県石巻市と北海道厚岸漁協から仕入れることができた。どちらも被災地だったが、貴重な冷凍牡蠣を提供してくれた。加工施設は内陸の花巻市東和町に借り、調理器具はメーカーが無償で譲ってくれた。
たくさんの人たちの協力で復活した「山田の牡蠣くん」は「友情の牡蠣くん」と名付けられ、6月5日まで連日、即日完売となった。
加工場は夏までには地元に建設予定。工場は10月の立ち上がりを目指す。当面は他産地の材料を使ってでも、待っている人たちに少しでも早く「牡蠣くん」を届けたい―。
養殖が再生したら、山田湾の牡蠣で牡蠣くんを作りたい。それが目標。
「いつか必ず、何年後かには自分で育てた牡蠣で牡蠣くんを作ります」。
Shopping URL: | http://www.magariya.net/makers/yamada_kakikun/ |
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岩手県・山田町。牡蠣を燻製にし、オリーブオイルにつけた「山田の牡蠣くん」を製造・販売。![]() |
はじめまして。まがりやさんのところで山田の牡蠣くんの小さいのを二つ申し込んだ者です。
震災後東北の牡蠣は東京に入ってこなくて。広島の牡蠣もいいのですが、両親が東北の出で、牡蠣は東北!絶対東北!でしたもので、東北の牡蠣でないと食べる気がしません。
お体、くれぐれもお大事になさってください。届くの楽しみにしております。
これからも応援しております!
エールニッポンにコメント頂き、ありがとうございます。
スタッフの中澤です。
山田の牡蠣くんの復活、多くの方から「待ってました!」のお声と共にたくさんのご注文を頂いております。
ありがとうございます。
山田湾の牡蠣は津波で一時は全滅かとも懸念されましたが、
奇跡的に残っておりまして、現在、牡蠣くんはその山田湾の牡蠣で作られております。
なんといっても商品名が「山田の牡蠣くん」ですから・・・(^^)
生産者の佐々木さんは、震災以降大変なご苦労をされました。
ご自宅や加工場があった一帯は、今では更地となっております。
苦境の中、一時は牡蠣くんを再開することもあきらめたそうです。
そんな佐々木さんの背中を押したのが、全国の皆様のご声援です。
牡蠣くんを心待ちにして頂いている、その思いが生産者さんの力になります。
これからも、山田の牡蠣くんをどうぞよろしくお願い申し上げます。