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3.11 それぞれの時 そして明日へ

沿岸応援プロジェクト

あらゆる手段を使って復旧を急ぎたい

三陸鉄道株式会社

プロフィール:岩手県沿岸の宮古から久慈、釜石から盛までを運行する初の第3セクター鉄道。株主は岩手県、沿線市町村など。

津波を想定して計画された三陸鉄道

地域の足として切望され、住民の期待のなか完成した三陸鉄道(以下、三鉄)が、「津波のときでも運行する安定した公共交通機関を」というポリシーの下で計画されたという経緯は意外に知られていないのではないだろうか。きっかけは、明治の三陸大津波だったという。津波被害を想定して、海から一番離れた山の際に運行ルートを設定。おかげで南・北リアス線総延長107.6kmのうち今回の大震災で被害を受けたのは5.8kmにとどまり、内容のほとんどは橋脚の倒壊、線路の陥没、トンネルの壁のひび割れなど、地震によるものだった。

とはいえ、今回の大津波では、さすがに被害が皆無だったわけではなかった。北リアス線「島ノ越」駅のホームは地上20mの高さにあった。
「震災の時、もし私が島ノ越にいたら、ホームに避難したかもしれません」と望月さんもいうほどだ。高さもさることながら、実は橋脚は新幹線と同じ強度で造られた日本鉄道建設公団自慢のものだったのだ。 しかし、津波はホームを5mも上回る規模で襲来。橋脚も耐えきれず、震災直後は、支えを失ってぐにゃりと曲がったレールが土手からぶらさがる壮絶な光景を呈していた。

ディーゼル車両を災害対策本部に

地震が起きたとき、北リアス線では白井海岸駅近くの山中で、南リアス線では三陸町の鍬台トンネルのなかでそれぞれ1本が運行していた。震度計が規定値以上を計測し、すぐさま緊急停止の指令が出され、その後、消防の救助隊の誘導などにより乗客はすべて避難した。

15:04、宮古市にある本社では災害対策本部を設置した。三鉄およびJRの宮古駅前付近まで押し寄せた津波は電気や通信手段を寸断したが、折しも三鉄宮古駅のホームには15:07発久慈行きの列車が入っていた。動力はディーゼル。停電の影響を受けず照明や暖房も使うことができたので、昨年夏「災害時に必要」と導入した災害優先携帯電話とホワイトボード、ノートなどを持ち込んで、その車両を災害対策本部とした。

そんななかでとても大きな役割を果たしたものがある。それは1冊のノートだった。
人の記憶はあやふやだったり、情報は間違って伝わったりしがち。ましてや大混乱の中、情報が錯綜する危険性は高く、必要とされる情報は正確であることが求められる。
起きたこと、連絡事項、指示内容…すべてそのノートに記録することによって混乱が抑えられたのだ。一度、誤った情報がメディアに出たことがあったが、ノートに記録があったために迅速に解決した。

新しい三鉄の姿を目指して

震災からわずか5日後の3月16日、三鉄は早くも久慈―陸中野田間の運行を再開した。現地を確認した望月さんが運行可能と確信したため線路や駅舎が残っている区間の点検調査が精力的に進められ、20日には宮古―田老、25日には田老―小本も復旧した。
ただ、南リアス線は車両基地が浸水したため、しばらくの間閉鎖することとなり、20数名の職員は残念ながら解雇せざるを得なかった。

三鉄は、約3年後の全線復旧を目標に掲げている。2012年4月までに陸中野田―田野畑(北リアス線)、2013年4月までに盛―吉浜(南リアス線)、2014年4月までには田野畑―小本(北リアス線)、吉浜―釜石(南リアス線)。「あらゆる手段を使って復旧を急ぎたい」と望月さんは真摯に語る。

復旧工事を進める一方で、コンサートやまつりなどのお楽しみイベントの開催や、「被災地フロントライン研修」とし「万が一の時に役立てたい」という明確な目的を持った団体、機関の方達を、三鉄社員が被災地を案内するという対外的な取り組みも行っている。
また社内においては、個々の社員が希望する資格取得を応援し、会社が費用負担している。それには「全社員がさまざまな知識や能力をもって参画し、新しい三鉄を作り上げていく」という目的があり、三鉄の復興に対して行われる多額の投資に報いることだと考えるからだ。
「鉄道はつながってこそ意味がある」という望月さん。鉄道ファンのためだけでなく、地域の足として、また観光地へつながる鉄道として産業振興にも役立ちたいと考えている。三鉄の新しい姿と、復興の日が待たれる。

新しい三鉄を作り上げることが、多額の投資に対して報いること

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◆三陸鉄道株式会社(代表取締役社長 望月正彦)

岩手県沿岸の宮古から久慈、釜石から盛までを運行する初の第3セクター鉄道。
株主は岩手県、沿線市町村など。
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URL:http://www.sanrikutetsudou.com/

三陸鉄道株式会社 へのコメント

  1. 岩崎慶治様 より:

    出来る事なら久慈市から気仙沼市まで一直線に繋げて貰いたい。震災以前から釜石から石巻まで鉄道だと1日掛かると皆様嘆いていました。今も、仙台より遠い石巻と女川と皆様が言ってます。