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3.11 それぞれの時 そして明日へ

沿岸応援プロジェクト

「これからもできるだけ多く、 大野の安全な乳製品を供給する。 それが自分たちにできることだと思っています。」

有限会社おおのミルク工房 浅水 巧美さん(洋野町)

プロフィール:岩手県久慈広域で唯一の牛乳・乳製品工場。酪農家の【ゆめ】を込めた牛乳「ゆめ牛乳」を販売

地震当時は八戸市で営業中。テレビからは悲惨な状況ばかりが伝えられてきて…

地震当日、浅水さんは八戸市内で営業中だった。
「車に乗っていましたが、初めて体験する大きい揺れを感じました。電柱がうねって電線が波打ったんです。恐ろしい光景でした。」
と、浅水さんは当時を振り返る。

地震後、浅水さんはすぐに会社に電話をかけたが全くつながらなかった。
「おおのミルク工房には乳製品を作るたくさんの機械があって、それが倒れていないか、落下していないか、不安でしょうがありませんでした。」
浅水さんはとにかく会社に向かって車を走らせた。しかし、会社への道は信号が止り、渋滞してなかなか進むことができなかった。

「情報収集のため車のテレビをつけました。時間が経つにつれ、テレビからは悲惨な状況ばかりが伝えられてきて…。不安ばかりがどんどん膨らんでいきました。」


停電で牛乳を処分している農家さん。行動を開始した

やっとおおのミルク工房に着いた時には夜になっていた。幸いにも、施設の破損はなかった。
しかし、停電で工場のラインは止まっていた…。

「震災後は停電でたくさんの工場が商品を製造することができず、全国的な乳製品不足でした。大手の牛乳会社の工場も被災して、農家さんは牛乳の売り先がなく、泣く泣く牛乳を廃棄処分していたのを目の当たりにしたんです。」

そこで、浅水さんはいち早く行動を開始した。

「少しでも農家さんの役に立ちたいと、工場再開後は〈とにかく大野の牛乳を作ってお客様に届けなければ!〉という思いで従業員一丸となり、フル稼働、いやそれ以上の働きをして商品を作り続けました。」

牛乳を入れる紙パックはちょうど3月の初めに入荷していたから在庫があった。
しかし、一つの不安があった。
それは燃料。工場の燃料は重油。震災からしばらくの間、全国的に深刻な燃料不足に陥った。フル稼働以上で生産を続けていく中、いつ燃料が切れてしまうのか。その不安が大きかった。

その不安は、以前から取引している業者が解決してくれた。
こまめに重油を補充に来てくれ、燃料を切らすことなくしのぐことができた。

「大野で牛乳を作って4年。農家さん、燃料屋さんを始め今までつながってきた人たちの力で製造することができました。」

相次ぐ注文・問い合わせにも揺るがなかった思い

多くの人の力に助けられて商品生産を続けたおおのミルク工房。
浅水さんは営業に走った。
「震災後しばらくは電話がつながらなかったから、八戸に車を走らせ、直接注文を取りに行きました。八戸のスーパーさんは〈ある分いくらでも出してほしい〉と言ってくれました。」

電話がつながるようになってからは、乳製品不足もあり全国から商品の注文・問い合わせが相次いだ。
全てに対応したかったが、フル稼働以上に働いても商品には限りがあった。

「これまでウチの牛乳を飲んで頂いた方を最優先にさせて頂きました。ずっと商品を取って頂いていた個人の宅配を大切に。感謝の気持ちを込めて。」

その浅水さんの強い思いには理由があった。
「おおのミルク工房を立ち上げた最初の1.2年は、年間180日スーパーの店頭に立ちました。その当時はほとんど知名度がなかった〈おおのゆめ牛乳〉を知ってもらうためです。多くの人の反応は「おおのゆめ牛乳って・・・?」
子供が「飲みたい」と手を伸ばしても「どこのものか分からない牛乳はダメ。」と親御さんに止められてしまう。手に取ってすらもらえない。そんな日々が続きました。
でも、商品には絶対の自信を持っていました。「いつか良さを分かってもらえる」と信じ、店頭販売を続けました。」

おおのゆめ牛乳は「農家さんが自宅で搾りたてを飲んでいるような牛乳」を目指し、製造している。沸騰する直前の温度、85℃で20分間かき混ぜながら殺菌する低温殺菌なので、牛乳本来のやさしい甘味が生きている。

その味をいつか分かってもらえるはず―。その浅水さんの思いと行動が通じ、徐々に顧客を増やしていった。

「支えてくれたのは最初のお客様。あの当時商品の良さを認めてもらい、買って頂いたお客様がいるからこそ、今があります。その思いは忘れることはできません。」

地元の人に認めてほしい―年月を経て実を結んだ目標

また、地元への思いもある。
「会社発足のコンセプトとして、〈まず足元をしっかりしよう〉ということがありました。〈地元で愛される牛乳作り〉を目指そうと。どこに絞った牛乳が行っているか分からない状態ではなく、地元の牛から採った牛乳は地元で製造する、ということをしたかった。〈地元の人に認めてほしい〉という思いは変わりません。」

その思いは年月を経て実を結んでいる。
「今では特別なCMを入れるわけでもなく、久慈の人が「おらほの牛乳」として口コミで宣伝してもらえる。すごいバックアップをしてもらっていると思っています。地元の学校給食などで「美味しい」と言ってもらえることが一番の喜びです。今回の震災ではいろんな地元の方のバックアップがあり、とても感謝しています。震災はありましたが、環境には恵まれていると実感しています。」

これからも大野の安全な乳製品を供給します

徐々に復興を見せている洋野町だか、まだ不安の影もある。
4月7日、またもや震度5の大きな地震がおこり、工場が停電。翌4月8日は製造ラインが止まった。
おおのミルク工房がある観光施設「おおのキャンパス」内の人出はゴールデンウィークで少しは戻ってきたが、まだまだ少ない。

そして、放射能の問題。
乳牛は基本的に稲わらは食べず、敷物として使っている。餌は牧草とデントコーンである。
敷物にする稲わらは昨年の11月までに収穫した室内に保管していた地元産と、一部青森県のおいらせ町の稲わらを使用している。

放射能検査は岩手県が行っている以外にも、検査機関に依頼して自主的に検査を行っている。常に安全性をチェックし、商品を出荷している。

余震、観光客減、放射能問題…不安点はあるが、地道に、一歩ずつできることを行っていく。

「これからもできるだけ多く、大野の安全な乳製品を供給します。それが自分たちにできることだと思っています。」

「これからもできるだけ多く、大野の安全な乳製品を供給する。それが自分たちにできることだと思っています。」

写真

◆有限会社 おおのミルク工房 (係長 浅水 巧美さん)

岩手県久慈広域で唯一の牛乳・乳製品工場。
酪農家の【ゆめ】を込めた牛乳「ゆめ牛乳」を販売