YELL NIPPON

3.11 それぞれの時 そして明日へ

沿岸応援プロジェクト

震災前から持つ「情報発信基地」としての立場を貫いて

株式会社のだむら 総務課長 古舘美惠子さん(野田村)

プロフィール:三陸鉄道「陸中野田」駅の乗車券販売や「観光物産館ぱあぷる」の運営、「道の駅のだ」の管理などを行う第3セクターの企業

すんでのところで免れた津波被害

 「道の駅のだ」として知られるその一画は、実は道の駅のみならず三陸鉄道の陸中野田駅や「のだ塩」を使った食品ほか地元の物産を販売する「観光物産館ぱあぷる」もある、野田村の中心的存在である。これらの管理、運営を行っているのが「株式会社のだむら」であるが、ここが3月11日の震災時に大きな役割を果たした。
その場所は、海から1kmも離れていない場所に位置していて、津波は東南100mほどのところの交差点まで押し寄せた。平地が広い地域では数キロ内陸まで津波が入り込んだことを考えると、むしろ「交差点で止まった」といった方がいいのかもしれない。
それはすぐ海側にある三陸鉄道の線路のおかげもあろう。少し高くなった土手が、防波堤となってくれたようだ。


情報発信基地となることを目指して

 古舘美惠子さんは、実は病院で被災した。10日に手術を受け、3月いっぱいは入院している予定だった。しかし、想定をはるかに上回る非常事態に病院は希望者には退院を許可。古舘さんは術後1週間しないうちに退院した。
「津波が来たところを見ていないので、退院して実際にあたりの状況を見たときはショックでした」

 後に古舘さんが把握した、震災時の状況は以下のようなことだった。
3月11日はまだ寒い季節で平日だったこともあり、お客さんは少なかった。地震が起きると従業員たちは店を閉めて避難。幸い、人にも建物にも被害はなかった。そのため、震災が起きてからの動きが早かった。


 従業員たちはその日のうちにそれぞれの施設、店舗に戻ることができたので、建物や設備などの点検を行ってから17時ころに帰宅している。
数日後には敷地内に仮設トイレが設置され、そのことにより「震災対策基地のひとつ」という立場が暗黙のうちに確立された。

 突然襲った天災の混乱と動揺のなかでまず同社がしたことは、携帯電話で情報を収集してお客さんたちに伝えることと、物資の入手だった。
「弊社は震災前から情報発信の役割を担ってもいましたので、できる範囲で情報提供していこうという方向で動きました」と古舘さん。交通手段のない人のために携帯でタクシーを呼んだり、どこかに連絡したいという人には携帯を使わせた。
建物被害が少なかったので、無事だったパンやジュースは避難所に届くように無償で役所に届け、17日には売店を再開した。近隣の道の駅とも連携できた。九戸の道の駅「おりつめ」からは駅長が野菜を大量に持ってきてくれたので、それを配布したりもした。

 比較的復旧が早かったこの地域では、震災1週間後には電気が点き、20日ころからは三陸鉄道が区間運行を始めている。固定電話が通じないため、担当者の携帯電話の番号を把握しているところだけにしか連絡できなかったが、4月半ばころからは商品も入ってくるようになった。


流失した塩工房も再建決定

 株式会社のだむらは、「のだ塩工房」も運営している。「直煮製塩」といって海水を塩釜で煮詰めて造るむかしながらの「のだ塩」はまろやかな味わいで人気を集めていたが、野田港内にあったその工房も、津波で流されてしまった。
しかし、同村玉川の「国民宿舎えぼし荘」の敷地内に工房の再建が決まった。しかも、燃料をこれまでの重油から薪に替え、より昔ながらの製法に近づく。工房は1月末の完成を目指し、2月には販売を開始する予定だ。

 夏は三陸観光のシーズン。いつもであればひっきりなしに観光バスが入ってくる「道の駅のだ」であるが、他より復旧・復興の進みが早いとはいえ、今年の夏は観光バスの姿は少なく、復興を支援するボランティアの人たちと近郊からの買い物客がほとんどだった。
しかし、通常の営業内容の延長線と考え、情報基地となるべく奮闘した株式会社のだむら。復興への歩みのなかでも牽引役としての活躍が期待される。

写真

◆株式会社のだむら(総務課長 古舘美惠子さん)

三陸鉄道「陸中野田」駅の乗車券販売や「観光物産館ぱあぷる」の運営、「道の駅のだ」の管理などを行う第3セクターの企業

株式会社のだむら 古舘美惠子さん(野田村) へのコメント

  1. 中村様 より:

    テレビで京王百貨店にて野田村再生「鮭いくら弁当」の案内があり早速2個購入おいしく食べました。

    昭和51から55年まで住友海上(旧名)野田村担当し、岩手銀行隣の近藤ホンださんや今は無い晴山自動車など大変お世話になりました。
    私が代理店つくりにて今も活躍している、岩手MS会社久慈支店支店長野場幹夫さん研修時代に野田村お客さんに大変お世話になりました。

    今回の津波にてすっかり破壊された姿に涙してましたが、再生の「鮭いくら弁当」にて邁進しだしたお姿に感動し、千葉県野田市から新宿まで2時間かけて買わせていただきました。

    さらに復興にご努力いただきますようお願い申し上げます。

    • STAFF より:

      エールニッポンにコメント頂き、ありがとうございます。
      スタッフの中澤です。

      野田村にご縁がおありでいらっしゃるんですね。
      その野田村の被災、心を痛められたこととお察し致します。

      お弁当をご購入された京王百貨店は、
      私どもまがりや.netも2011年の秋の催事に出店致しました、
      思い出深い場所でございます。

      催事に足を運んでいただき、更にご購入という形で
      岩手を支援いただき、ありがとうございます。

  2. 古舘美惠子様 より:

    「鮭いくら弁当」お買い上げ頂きありがとうございます。
    陸中野田駅の窓口でも今月5日から販売を開始しまして、連日完売しております。

    村の街並はすっかり変わってしまいましたが、復興に向けて皆頑張っています。
    温かいお言葉ご支援ありがとうございました。