YELL NIPPON

3.11 それぞれの時 そして明日へ

沿岸応援プロジェクト

商品が揃わなくても仕方ない。店を開けることでみんなを元気にしたい

大沢菓子店 大沢 欽弥さん・心さん(野田村)

プロフィール:野田村の中心部で、自家製の和洋菓子製造と食品などの仕入れ販売を行っている食料品店。

村の約4分の1が被災

 その時、心さんは両親や従業員たちと店にいた。ひどい揺れに慌てておもてに出てみると、海沿いの人たちは早くも避難を始めていたが、海から少し離れた大沢菓子店周辺の人たちはまだ様子をうかがっていた。

 「堤防を越えて来たぞ! 逃げろ!」
車で通りかかった人の声で海の方を見ると、すでに黒い波が見えた。
第1波は「小さい動物が来たかのように見えました」と心さん。しかし次に、大きな第2波がまちを襲った。裏の家は大規模半壊、菓子店の倉庫も流され、翌週に控えた彼岸用の商品がすべて流された。村の約4分の1が被災。1600世帯中500世帯が半壊以上だった。

「最初は何をしていいかわかりませんでした」

 2日目、店の様子を見に戻ったが、瓦礫で中に入ることもできず、そのまま避難先に戻る。
3日目、なんとか建物の中に入り、数日にわたって着替えや貴重品と、食べられそうなものを運び出し、避難所の人たちと分け合う。
4日目、米軍が機材を使って瓦礫を撤去してくれる。周囲では、警察や自衛隊が人命救助を行っていた。

 津波が運んできた泥は壁の中まで入り込み、菓子製造用の機械はすべて倒れ、半数以上が使えなくなった。後日、半数弱が助かったとはいえ、実状は高い機械ほど修理が不可能で、損害は甚大だった。

 芯の強いところはあってもやはり20代の女性、想像を絶する光景を初めて目の当たりにしたとき「何も考えられなかった」という心さん。その横で、父親の欽弥さんは「早くなんとかしなければ」と考えていた。

差し入れのお菓子に励まされて

 大沢菓子店の前の道は、小さなまちの中心部ということもあり、瓦礫が着々と片付けられていった。それと並行するように、心さんたちも2ヶ月間、来る日も来る日も店の掃除に明け暮れた。
めちゃめちゃになった店内と気が遠くなるような膨大な作業は「闘い」と呼ぶにふさわしかった。そしてそれが一段落したころ、また別の闘いが待っていた。
「次はどうしたらいいのだろう、と。気が抜け、不安になりました」
店舗は使える状態になったが、お菓子作りに必要な機械がない。思うように進まない復旧作業に、家族全員が落ち込んだ。精神の疲れはある意味、身体の疲れよりも手強い。落ち込むのが全員同時でなかったのがせめてもの救いだった。

 そんなある日、八戸の知人が生クリームを使ったお菓子を持って大沢家を見舞う。
「とてもおいしくて、お菓子は人を元気にできるものだと再認識しました」と欽弥さん。心さんも「知人やボランティアの人たちが持ってきてくれる差し入れがなければ挫けていたかも」という。
心さんたちを励ましたのは、奇しくも心さんたちの「仕事」だった。

店を開けることで地域に元気を

 「娘がいたから、その日のうちに再開する気になれたのです」当初の心境をそう語る欽弥さん。それから2ヶ月半あまり経った5月28日、やっと入手できた材料で、できる限りのお菓子を作って大沢菓子店は復活した。
「お菓子を作ろうと思ったら、(道具が)あれがない、これがないと…」と苦笑する心さん。陳列用の棚が届いたのも26日。開店を心待ちにするお客に「28日からだよね?」と心配されたことも。たとえ少なくても商品が並ぶ店で気分転換でもしてもらえたら、そんな気持ちでひたすら開店準備を進めた。

 作業に明け暮れていた時、同じ避難所にいたおばあさんが「使ってください」と家から長靴を持ってきてくれたことがあった。地域の人々のためにと前に進んできたが、一方では人々の温かさに支えられてもいた。
そんな心のつながりが、復興への原動力となっている。

商品が揃わなくても仕方ない。店を開けることでみんなを元気にしたい。

写真

◆大沢菓子店
(代表取締役 大沢 欽弥さん、大沢 心さん(欽弥さんの長女))

野田村の中心部で、自家製の和洋菓子製造と食品などの仕入れ販売を
行っている食料品店。
ブログURL:http://nodamuramarukinn.blog.fc2.com/

大沢菓子店(野田村) へコメント

  1. 石井 一夫様 より:

    7月の末にお店に伺いました。

    私は父の実家が野田村の下安家地区です。
    被災し、家は半壊したのですが、おかげさまで親戚は全員無事でした。
    被災した家も、多くの方のお力により、無事復旧し、大沢菓子店さんの再開と同じ頃に自宅に戻ることが出来ました。

    私は、関東に住んでいるのですが、
    テレビで宮古や久慈の様子を見て、下安家が無事の訳がないと案じてはいたのですが、
    電話は勿論、手紙も電報も届かず、安否確認のしようがありませんでした。

    その中で、一番貴重な情報を下さったのが、心さんが更新してくれていた、大沢菓子店さんのブログでした。

    ご自身も復興作業に追われる中で、親戚に伝えてくれたり、開通した衛星電話の番号を教えてくれたり。
    おかげさまで、震災後約2週間で親戚全員の無事が確認でき、その頃は日本中が自粛ムードの中でしたが、祝杯を上げたい気分でした。

    心さんのブログで、一番感動したのは、
    炊き出しの食事をいつも「おいしい。おいしい」と、感謝の気持ちを持ち続けていたことです。

    お店に伺ったときも、
    忙しい中、またまだまだ傷跡は残っていたにも係わらず、
    とても明るく、元気に、素敵な笑顔で対応してくれました。

    「東北は充分に頑張っている。このままでは、私たち関東が東北に笑われる」と、元気をたくさん頂きました。

    まだまだ復興には時間がかかると思いますが、
    私も、出来る限りの支援、応援を続けて行きたいと思っています。

  2. STAFF より:

    コメントありがとうございます。
    エールニッポンスタッフの中澤と申します。

    震災当時は現地の情報がなかなか入ってこなくて、
    歯がゆい思いでしたよね。
    大沢菓子店さんのブログがどれだけ貴重な情報となったか・・・。

    言葉では言い尽くせない程、大変な体験をしながら感謝の気持ちを持ち続け、
    情報を発信しお店を再開された大沢菓子店さん、心さんに、多くの方が励まされたことと思います。

    復興までの道のりは長いですが、できることから一歩ずつ、
    少しでも進んでいきたいですよね。

    言葉でいうほど簡単なことではありませんが・・・。
    それでも前を向かなければいけないと、私自身も日々思っております。